下北沢の町には、多くの人が溢れ出てきていて、とてもじゃないけど緊急事態宣言下だとは思われない。
若者も、中年も、年配者だってみんな外に出ている。店も半分は開いている。古着屋なんて今必要ないだろうに。
私は非常に怒っている。これほどまでに日本人が良識のない人間の集団だということに。
タピオカ屋がなぜ緊急事態宣言下で開いている必要があるのか?
なぜ、緊急事態宣言下でもタピオカ屋に群がる女どもがいるのか、不思議で不思議でならない。
そして究極は、なぜそのような輩に給付金なんかを渡さなければならないのかということである。そのつけは、私たちが負わなければならないのに、、、
私は非常に怒っている。
今日、緊急事態宣言が全国へ拡大するということになったが、このような状況ではこの流れを抑制することは不可能だろう。
緊急事態宣言、対象を全国に拡大へ 首相調整
安倍晋三首相は16日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、緊急事態宣言の対象をこれまでの7都府県から全国に広げる方向で調整に入った。新型コロナ対策を担う西村康稔経済財政・再生相が同日午後、衆参両院の議院運営委員会に報告する。 ...
自粛要請をしたところで2週間も自宅に留まることができないような国民に自粛要請をしたところで意味はない。
この事態を改善するには、改憲も致し方ないと思う。国民が言うことを聞かなければ、国家が寄り添うことは不可能だろう。
自分は別に安倍さんを支持しているわけでもなんでもないが、今の状況で政府を変えるべきでないことはスペインかぜ流行時の犬養毅に政権交代したときを参照すれば容易に想像できる。(人口規模の大きな違いにもかかわらず、日本はアメリカと同等の死者を出した。)
だからとりあえずはこの政権でやっていく他ないと思う。
三島由紀夫の目指した精神国家たる日本
三島由紀夫という人物をご存知だろうか?

この人物についての映画が今放映されているはずだが、映画館は封鎖されているので見れないので、その内容とは少し違うが、自分が今も講義を受けている900番講堂で50年前に行われた出来事について書かれている記事を載せておく。
三島由紀夫VS東大全共闘 伝説討論会を文字に起こしました|「NEWS23」スタッフノート|note
東京大学駒場キャンパス。 900番教室と呼ばれるその場所が・・・ 50年前にあった伝説の討論会の舞台でした。 1969年5月13日。900番教室を埋め尽くしたのは1000人を超える東大全共闘の学生たち。 そこに単身乗り込んで公開討論会に臨んだのが 世界的な文豪三島由紀夫です。 この年のはじめにあった東大・安田講堂攻防戦。大学紛争は、全国的な広がりを見せていました。 ...
ここに三島由紀夫の思想が凝縮されていると言っても過言ではないだろう。
その中でもこの部分が特に重要である。

三島由紀夫の考えを一言で言うなら、
天皇を中心とした高潔な侍魂を取り戻そう。
というものだ。
第二次世界大戦までに日本に存在していた国のために高潔に生きる姿、自らの命も国のために捧げることもやむをえないとする姿勢が第二次世界大戦以降、GHQの3S
・Screen(スクリーン=映画鑑賞)
・Sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)
・Sex(セックス=性産業)
を筆頭にする愚民政策によって失われてしまった。
それを取り戻そうとしたのが、三島由紀夫だった。
そしてその高潔な姿勢への精神的な支柱になっていたのが、古代の神から現在の天皇へと至るこの日本の歴史の中で常に中心にあった精神的概念であったのではないか?ということだ。
何のために正義感で生きているのか?と言われて答えが出ないとやはり悪いことに手を染めてしまうのにも躊躇しないだろう。
だから、日本の精神的な支柱を天皇として、その天皇に(神に)後ろめたさがないように行動を心がけるという意思を潜在的に持つことで高潔に生きれるというわけである。
私は、今このコロナの状況でそうした三島由紀夫の求めた高潔な姿勢が必要であるというのは間違いないと思う。そうでないと皆が自粛することは無理だろう。
しかしながら、現在の天皇制度ではそのような精神的支柱として天皇を捉えることは、少なくとも自分はできないので、この状況も仕方ないのかとも思う。
が、天皇という精神的支柱がなくても高潔に生きようとする姿勢がこれほどまでにできないかと思うと、現代日本の廃れた様子を哀れむ他ない。